2012年3月24日土曜日

読書感想文(1)イーライ・パリサー『閉じこもるインターネット グーグル・パーソナライズ・民主主義』


この記事の長さの目安。5分ぐらい。参考TED。


以下本文。
この本が言いたいことは、簡単に言えば、あなたのみえている世界とわたしのみえている世界が違うということだ。

今のわたしたちの世界はインターネットによる無数のフィルターが、張り巡らされている。
しかもそのフィルターは、一人ひとりの趣味や嗜好によって、パーソナライズされたものであるために、同じ単語を検索しても出てくる結果はおのおの異なってくる。
例えば、グーグル。
みんなが今一斉にグーグルで検索したら、多分同じ結果が返ってくると思う人は多いだろう。

自分もそうだと思っていた。
だけど、これは間違いであるらしい。
どういうことだろうか。
グーグルは、57種類もの「信号」――ログインの場所や使っているブラウザーから過去に検索した言葉まで――を使い、各ユーザーがどういう人物でどういうサイトを好むのかを推測するようになった。ログアウトしても検索結果のカスタマイズがおこなわれ、そのユーザーがクリックする可能性が高いと推測したページが表示されるのだ。(8ページ)
簡単に言えば、グーグルが検索に使っているのは、「今」検索しているワードだけではなく、「過去」の私たちのデータといったものも含めた様々な情報であるということだ。そのため、わたしがわたしのパソコンを使っている限り、自分自身で知らない間につくっていた檻のなかで(どこかでそんな歌を歌っていた歌手がいたような気がするが)生活することになる。そして、知らないうちにさらにその檻を強固にしていく。

いや、檻という比喩は少々大仰な気もする。だから、イーライ・パリサーは、このフィルターのことを「フィルターバブル」と呼ぶのだろう。檻だと、気がついても壊すことは不可能な感じがする(よっぽど頑張ればプリズン・ブレイクできるだろうが)。一方、バブルは気がつけば、破ることが可能だ。だから、この比喩は結構白眉だと思う。


実際、フィルターができることは、自分としては悪だとは思わない。
何故ならば、人類が生まれてから、少なくとも文明というものが生まれてから、フィルターは常にそこにあったのだから。
神とか科学とかそういったフィルターを通すことで、人類は、多すぎる情報を処理してきた。
その立場が、インターネットでは、検索エンジンやSNSに変わった「だけ」なのだ。
だけど、その「だけ」が、結構厄介だ。例えば、検索ユーザーの65%がパーソナライズ化は悪と回答――Pew Internet調べ などをみても分かるように一般にそうしたものは好意的には受け入れられていないのが現状だ。ユーザーは、情報を「勝手に」使われることに対してある程度嫌悪感を抱いている。
「忘れられる権利」が話題になってしばらく経つが、自分は今後もっとこういう議論をしていかなければならないと思う。特定のユーザーが吊るし上げられるような、そんな世界は、そんなインターネットは誰も望んでは居ないはずだ。

イーライ・パリサーは、最後にこう語る。
誰とでもつながれる世界、ユーザーがコントロールできる世界というインターネットのビジョンを守るーーそれこそ、いま、我々がなすべきことだと思う。(296ページ)

フィルターの泡が固まって、フィルターの檻になってしまう前に、もう一度インターネットの自由を考えていく、そんな重要な時代にわたしたちは生きている。気がする。

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